
2026年05月04日(月/祝)(二食目)
茹で卵カレー(自作カレー) with ベジビリヤニ 他
昨日の鳴神縁日で、あっちゃーふぁーむさんのベジビリヤニキットを買ってきた。

いわゆる界隈では割と有名な国産インディカ米プリンセスサリーと、あっちゃーふぁーむオリジナルのビリヤニの素のセットだ。
が、プリンセスサリーの方は明日以降食べることにして、自宅にあるバスマティライスで作ってみることにした。
実は、そうしても大丈夫そうか、昨日買う時に相談しておいたのだ。
相談に乗ってもらった上に、発酵アツァールもおまけしてもらっちゃったラッキー。

ラッキーと言えば、昨日の縁日に来てくれた知り合いの農家さんに、絹さやとスナップエンドウを頂いた。
さらに、今朝、我が家(賃貸)の大家さんからトマトをいただいた。
それらをシンプルに炒めたおかずも作った。

昨日僕が提供したカレーライスの付け合わせのキュウリピクルスの残りもある。

もはや、自炊の茹で卵カレーは、美味しくできたとはいえ、存在感がかなり薄い今夜の食卓。

ビリヤニは本当においしくできた。
あっちゃーふぁーむさんの色々な商品は、作為が少なく素材に実直な印象がある。
一方で僕が作る料理は、僕の過剰気味な自意識が滲み出てしまっている。
ある意味開き直っているので、そうならないようにしたいとは思わないが、なんとなく恥ずかくもあるのが正直なところ。
恥ずかしいと思ったりするのもまた自意識過剰のあらわれかもしれない。
自意識云々は置いておいても、料理の味わい自体ではなく、作られた姿勢みたいなものが味に反映されているように感じることがある不思議。

不思議を不思議のままにしておいても大丈夫だと思えるのは、確かなおいしさのおかげかもしれない。
もう何を書いているのか自分でもよくわからない。
よくわからなくても大丈夫だと思えるのも、確かなおいしさのおかげかもしれない。
プリンセスサリーを、そのまま炊いて食べる楽しみが明日以降に残っていることも嬉しい。
今日の絹さや等も含めて、作り手と対面したことがあるだけで、大事に食べようと思えるようになる。
それを経て、作り手が誰だかわからなくても大事に食べたいと思えるようになりつつある気がする。
今日も生きてカレー食べた
明日も生きてカレー食べる
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